思い遣りの話

 唐突だが、世の中には本当に相手の幸せ(すごく広い意味で)を願って相手への気遣いができる人がいる反面、気遣いをすることが自己満足で終わっている人がいるなぁと日々思う。

 例えば、自分が世話をしている相手が、自分が持っていこうとしている方向とはそぐわない行動をとったときにはとたんに激怒するような人を見るとき。この人は、単に自分が人の世話をしている、という事実自体に満足を得てるんだなぁと思う。自分が面倒くさくなったらすぐ手を引くような人を見たときも、いろいろ疑問に思ったり。

 少し違うのかもしれないが、相談に乗るのが得意、と自負する人の中にも同じようなことは見られる。人に相談する人は必ずしも何か解決策の提示を望んでいるわけではなく、単に励ましたり慰めたりしてほしかったり、もしくは何も言わず話を聞いてほしいだけの時もある。それを読み取れず、何かをした方がいい、の提案を常にしてしまうことは、真に相手の幸せにはつながらないかもしれない。


 いつも人の世話をしてないと気が済まないという人から、人の世話をすることで優越感に浸るという人まで、一般的には「お節介」の1語で表現されるのだろうが、いろんな人を見て、思い遣りとはなんなのだろうなぁと考えさせられることがある。
 自分に何らかの利益が帰属しない行動などとらないのが人間だとは思うが、それでも人への思い遣りは、相手の幸せという目的に重きをおいたものであるべきだと思いたい。